Wednesday, December 19, 2012

差別

記事名から推測できるの通、これは一般的な話になる。

考え難いが、世界中、人類は互いに対し差別続けてきた。これは論理を丸ごと逆らう受け難い事実がその受け難さは真実であることは苦いが一切変わらん。

 財産であれ、意なる外見であれ、社会的位、言語、性的指向や示教、これら等の外面的に過ぎない差を根拠に人は割れ、組んで、謝絶され、争い、征服され、支配され、全て―多く命まで―失い、世の中はそれ程更に腐っていく。

―とは言っても、21世紀ではその腐りは一歩一歩と取られ去ってしまい。合衆国の10つの州では同姓婚は法律的になって、ヨーロッパでは既に八つの国では認められている。

私の住む近所では中国人、ベトナム人、ラテン人白人と黒人、アフリカ人とヨーロッパ人であれ、両方アメリカ出身であれ、全ては平和的に共存くらいはする。

だが、コンプレックス中の皆さんは仲良しで毎日遊ぶ等綺麗事な嘘を付くつもりは一切持たない。法律や公開的はどもあれ、人はそれぞれ内なる差別意は現代でも保っている。外見など完全に外面的―即ち、生物的状態に影響の全く持たぬ―差を見分けて、それらのところ本人と違ってる相手と似てるものより距離は必ず置く、例えば事情はその差の話題など一切触れなくても。黒人とアジア人である親友同士とかはあんまり見えない。(けどある。高校生のとき私の親友はハイチ系人であった。別れたは親のせい今でもあの人に会いたい気持ちは抱く。だがこれはばがげたな理由で非常にまれだ。)一ヶ月ちょっと以上前とても得られそうな仕事―部長はその一週間四回電話してきた―面会場に顔を出した途端それでお終いで機会は飛び去った。会員たちは皆日本人で、そこは幼い頃の匂した。差別との初対面は幼稚園初日であった。

どこでも、自分に間せぬでも差別と出会える。有名なポップ・スターであるケティー・ペリー(綴り知ったことではない)はLGBT人口を自分の玩具として扱う。翻訳まではせんが「ユアー・ソ・ゲイ」を聴けば(英語のできる方、ともかく)。LGBT人のステロタイプとして語りLGBT人をこれでからかう。とこれはかなりリリースのとき人気な曲であった。ガンガムスタイルの程じゃなかったが、それは今までのYT上全記録を超えた曲だ。 *笑*

人は似たものと組み、そして異なるものをせめて謝絶する。最良の場合ではそれで済む。以下の場合ならば、異なるものは命まで失うことにまでなることはある。この人の多くこだわる差は現実的、生物的に影響や根拠全く持たずのだ。我々は誰でも人間だ。白、黒等は人類になんかならぬ。人類はたった一つ存在するのだ。それは人間である。では無くと混血人は存在せん。では無くと財産の持つものと貧乏であるものの間に再生は生物的に不可能である。では無くと互いの話し方覚えるのは不可能―人間と他の猿の種類のように。

人類はひとつだから、このつまらない、論理と常識を丸ごと逆らう争いも止めろ!