Sunday, November 3, 2013

Dona Nobis Pacem「和訳:我々に平和を下さいませ」

"Why do we never get an answer
When we're knockin' at the door
With a thousand million questions
About hate and death and war?
"Cause when we stop and look around us
There is nothing that we need
In a world of persecution
That is burning in its greed."- "Question", Moody Blues

「憎しみと死亡と戦争について
一億の質問を持って
ドアにノックする度毎度
どうして我々は一度も返事を貰っていない
立ち止まって周囲を見ると
必要なことはないだから
自分の欲望に燃え尽きてる
迫害の満ちた世界の中で」―和訳、世界で唯一の俺^_^

今日の話題とは世界平和、友達が生み出した「Blog For Peace」(平和のためにブログしよう)という行動に応じて。今日、っていうか明日(けど、11月4日は月曜であるから早いほうがいいと決めた)のこの運動の皆さんお投稿題名とは同じ名前で書いてある。それは運動の一部だ、多分団結を明快に表すため。確かに一目で神に問う祈りなどの台詞に見えるよな。

けど、それはかなり非現実的だ。

けど、「平和を下さい」と現実的に問える方々など正確に実存する。70億ちょっと以上居る。今日、俺はお前たち、世界中のこの星の子供に「へいわ下さいませ」を問う。

この世界では人種は、すみませんが、ちっぽけで出鱈目な思考に拘って、生物、国系や国籍、示教、歳の差を言い訳に使い、互いを圧迫し、ゴミ扱いを歴史を超えてし続けてきた。

もういいんじゃないか?そろそろ大人しくしたらどうだ?

皆さん、ちょっと寂しくではないか?

もうこれらの現実に根拠の持たぬ偏見を捨てたらどうか?

世界を諦めて親の家に一人で引きこもるより外に出て、同じく位、行き止まりへ導く未来しか見ない見方を探って、ともに定義運動などの行動とったら、注意は絶対引くぞ。

ユダヤ教、キリスト教、やイスラム教の生徒へ:お前らの神は皆同じ人物だ。もう止めろう。神の信じない人も、俺も美しいパートナーもその数に入る。仏もお前たちの市況も平和を訪れようとしてたはずだ。つまり、争いあう限り、お前らは自分の愛するとおっしゃる示教を逆らってる。だろう?

フランスでは…フランスのとんでもない人種差別問題はともかく、フランスでは核エネルギーはかなり上手く行ってる。核ゴミの処分方法もいいし、修理や機械引退、入れ替わりなどを躊躇われず速やかにする。核機会のは問題じゃない。

問題は何だと知りたい?

核の問題は実際に兵器の問題。核兵器でも刀と火薬で街を消滅しても、街は消滅されたということに変わりはない。

つまり問題は戦争。

戦争は憎しみ、恨み、互いへの懐疑にある。

これは皆、差別が生んだ感情だ。

仏教者になれとは到底言わない。いや、その台詞実態滑稽なものだ。けど、俺は仏教者だから、俺の世界見方はたしかに仏教に染められてる。

仏教の基礎原理の一つとは自己認識という。当然、この単語は多数の意味はある、心理発達の一段でもある。けど、仏教では自分の行動、言動などを必ず完全に自覚し、理解することと意味する。

簡単ではない、いつも自分を見張ること、けど悪いことでもないんだ。

いつも知人に「世界は仏教が必要だ」という冗談を言う、けどこれはその理由で嘘でも冗談でもない。

いろんな方法でこの原理に会えた、仏教の特原理ではない。

仏教を説教しに来たわけじゃない。

平和への道を教え、注目しに来た:他人への自分からの差別の対策として、使え方を先述した自己認識という道具を使え。

我々はどこからでも差別のメッセージを貰って、育ってきた。だれでも、俺だって、無意識にその一生のメッセージ通り差別的傾向を持つのだ。

だから今回、異星人、異国籍人、最初に先述したような人と出会ったり、自己認識を持って、差別を心の強さで追い払うのだ。

ここまで読んでくれたおまえに問う:

Dona Nobis Pacem。

我々に平和を下さいませ。