Friday, July 5, 2013

平等と自由の微妙なバランス:どこまででいいんだ?

「合言葉は好きにすればいい」―「Sailin'」、Special Others Feat.KJ From DRAGON ASH

…で済んだらいいな。けど、それじゃ済まないぞ。人はそんなに良きなもんなら、最初から法律や警察は要らんだろう?(法律や警察など疑わしい目で見ないなんかじゃないけどな!昔人を商品や奴隷にすることも法律上であって、先週警察が発作中の自閉症の少年殺した事件の動画見ていたんだぜ…)どうしても、他人を嫌でも従わせたがってる人もいるさ。政府の中にそういうもんも入ってるんだ。

俺はカリフォルニア州に済んで現在位置ではテレビの電波届かんけど、アメリカ人である友だちによってフェースブックでいつも最近の国際公民権法律変化のお知らせは届いてる。

この国はたった2つの主義党に分かれてる、日本と違って。腰抜け民主党(青、左)と白人男性以外の国民の民権取り消したい共和党(赤、右)。

両党は長い年月超えて既に買われてる。そして持ち主の会社の利益になる法律実行とし続けてきた。日本の皆さんは多分SOPAのこと聞き覚えが僅かでもある。民主党の一部の持ち主とはエンターテイメント事業だから、それは左から来たんだ。

火器の争いは大分左は火器産業に買われた右の反する仮面を被るから。実は言葉の裏腹に右と左はライバルじゃなく、兄弟のよう。

当然、俺は火器所有権よりずっと深い問題、それは経済格差、(1%;ウォール街を占拠せよ?)に気づいた、けど、政府家は多く1%から、はっきり言うとものすげー金もらってるから、一般人の手にその金落ちてしまったら、政府家の持ち主から貰う金も減っちまう。

けど、話いきなり迷ちまったから戻そう。

せめてこの国では、自由さと平等さは反対しあう概念同士で、負の相関が有るという議論は東から西から響き渡されてる

だが、これは違う。むしろ相関という数学単語を使うと、正の相関と言って、ずっと現実に近い。

差別的法律は目標の人族の自由を奪う。

DOMAより、ちょっと前の公民権の議論使おう。

非白人は1964年、公民権法の実行によってやっと同じ人間として認められたと誰も既に持っていた権利失ってない。白人は今でもバースの前半に座ってもいいし、学校へ行く権利は失ってないし。

女性はやっと投票権を手に入れても、男は失ってなんかじゃない。

「けど、差別するのは俺達の自由だ!」と右が吠える。

そうだ。個人的なレベルで、アジア人、黒人を抹殺する夢を瞼の後ろいくらでも見てもお前の自由に当たり前だ。思考を犯罪にするとは、それが自由の取り消しとなるんだ。

けど、たとえ、お前が同性愛者に対して憎しみに満ちて、同性愛者を殺したなら、お前はその人の命奪って、それはかなりの重犯罪となるじゃない?命とともに、お前はその人の自由を奪ったから、法律はどうかも自分の究極的な自由のため、他人のを打ち消したんだ。

こういう話になると、話はもう一人ひとりの自由じゃなく、国民中、社会中や星中の自由だ。

自由とは自分の道を選ぶ権利、自由とは好きな人と一緒に入られる権利(昔、女には選ぶ権利がなかって、肌色の違うもの同士なら禁じられていた)。

他人の自由を踏み潰す者こそは自由の最大敵だ。

アメリカ人―絶対皆じゃないけどモノ多くは自分のことしか考えない。そういう日本人もリビヤ人もイタリア人、エチオピア人居るさ。とこういう人はどこでも居るんだ。ただ、こっちですごい数が多いんだけだ。

けど、自分一人の「自由」で外の皆のを踏み潰すとはお前は自由の代表じゃねーぞ。お前は自由の敵だ。

社会自由は社会中の共有するものだ。それ以外は自由じゃない。 それ以外は北朝鮮となる。

以上


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