Tuesday, July 30, 2013

差別は慣れるもんじゃないはずなのに。

ちょっと、っていうか、書くと決めたの五分前、俺は知らないサンフランシスコの番号からの不在電話を気づいた。俺は日本語以外に英語やスペイン語もできるが、俺の番号知りそうなサンフランシスコに住む人は同じ日本人である先生しか思い当たれず、番号にかけ返し、ちゃんと日本語で、「はい、この番号から不在電話がありまして、」と。
そして、無効は先生じゃなく、たまたま、誤り番号をかけた高齢そうな中国人女性だった。広東語訛英語ははっきり聞こえた。
女性は大怒ったー自分が日本人として間違われて、中国人なのに。

そうじゃないこっちのほうが日本人なんですけど…

けど俺達アジア人とアジア系人はいつもそういうふうに差別されてる。白人が自分がスペイン人と隣りに座ってる英国人の顔はちっとも似てないと拘りながら「オメーら皆似てんだぜ!オメーがタイ人か韓国人かオラァ知ったこっちゃねぇ。」と。

そして「中国人」とは国籍より、西洋人の口から零すと種族を評す単語になる。つまりアジア人は皆中国人になる。ラテン人も俺達の気持ちはわかる。メキシコ人はよくラテン人と入れ替わるんだ。

(それに、アジア人もラテン人も、家族は何数世代合衆国にいても、決してアメリカ人として見なされることはない。アメリカ白・黒人の大部分にとっては彼ら自分以外にアメリカ人はないアメリカ土人さえー、がこれは後ほどのための話題にする。)

このブログの展開の際、確かに述べたはず;俺は混血人であることーより深い説明はある、けど日経とシシリア系と言えばその概見で済む。(それ以外謂うと家族両側の第二次世界大戦の経験を書くハメになる。勘弁して?)

一緒に先述したはず、混血人なら人種は入れ替わる。瞬間的に相手が変わるほど、完全にその開いての嫌い方になる。

だから、フロリダ州にいた時よりアジア人で居た経験はなかった。俺は世紀の変わった時代を囲まれた平成11年から17年までその六年間ずっと完全にアジア人だった。

そして、西洋差別者によりアジア人=中国人だから、あるほどまで日系である俺はいきなり中国人になった。

確かに来米したアジア人はあるほどまで仲間になる、と世界平和の夢見るばっか俺は絶対良かっただが、これはそこに由来する思考などではない。実は西洋人の多くー俺達の何も知らんれ中皆、そのことさえ一切わからん。

こいう差別は俺達の文化から俺達の人間らしさまで不評価化し、取り消すための差別手段だ。

と、俺達はその差別手段慣れすぎて、互いまで睨んでるー互いにされてるように。

差別者は平和の最大的というのは差別者の直接行動に全く限ってない。差別者の生み出す波は圧迫されてる仲間同士であるの絆を激しく裂いて、引き分ける。

我々はみんな、この世の中、ある種の差別に慣れている

差別は慣れるもんなんかじゃない筈なのに。

以上



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